大阪城の歴史と年表を簡単に解説!観光の見どころも紹介

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小学校で習う三大武将といえば、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。

その中で、初めて日本統一を果たしたのが豊臣秀吉です。

 

その秀吉が建てた大阪城。

430年以上もの間ひっそりと、しかし存在感を醸し出しながら、大阪の街に鎮座しています。

 

その年月が示すとおり、大阪城にはとても深い歴史があります。

 

そこで今回はそんな大阪城の歴史と観光の見どころを紹介したいと思います。

大阪城の歴史を簡単に解説!

まずは大阪城の出来事を年表にまとめました。 

 

大阪城の年表

  • 1580年 石山本願寺が和議により織田信長の領土になる
  • 1582年 織田信長は天下統一を目前にして、本能寺の変にて謀反され自害
  • 1583年 織田信長の後継者だと自認する豊臣秀吉が大阪城を建設
  • 1598年 建設開始から、わずか15年で豊臣政権が秀吉の死をもって終焉
  • 1600年 天下分け目の戦い「関ヶ原の戦い」にて徳川家康に政権が変わる
  • 1620年 徳川幕府による再築開始
  • 1626年 天守閣が完成
  • 1629年 二代目大阪城完成
  • 1665年 落雷により天守閣焼失
  • 1928年 大阪市長 天守閣の復興提案
  • 1930年 天守閣復興工事開始
  • 1931年 天守閣完成

 

1583年 大阪城建設

大阪城は1583年に建設を開始しました。

 

実は大阪城の建設前には浄土真宗本願寺である「石山本願寺」というお寺が既に存在していました。

 

石山本願寺は8代宗主・蓮如という僧が開いたお寺で

11代宗主・顕如の時代にも有名大名に匹敵するほどの財力を持っていたそうです。

 

そこに目をつけたのが織田信長。

莫大な軍資金と土地を引き渡せと要求します。

 

軍資金には応じたものの、立ち退き要求には我慢ならずに反旗を翻します。

 

そして後に約10年にも渡る合戦に発展。

最終的に顕如は信長の要求に応じこの土地を明け渡すことになります。

 

そしてここに誕生したのが大阪城です。

 

信長が本能寺の変でやられてなければ、信長がこの土地に大坂城を築いていたかもしれませんね。

「貿易の拠点」「川・海に囲まれて城を守りやすい」などメリットはたくさんあるので。

 

1600年 「関ヶ原の戦い」にて徳川家康に政権が変わる

1600年に起きた関ヶ原の戦い以降、大阪城の運命は激変。

 

徳川らは秀吉が残したこの大阪城に二度も攻め込み。

 

「豊臣政権根絶!!」と言わんばかりに、

大坂冬の陣では大砲で塀や堀を打ち崩します。

 

二度目の大坂夏の陣では、

放火による焼失で最後は見るも無残な姿でした。

 

信長が建てた安土城よりも圧倒的な作りを施した大阪城は、徳川によってすべて失われたのです。

 

大阪城は高い石垣と立派な堀が特徴だと言えるでしょう。

敵の侵入を簡単には許しません。

 

大阪城を狙おうとする敵目線からすると、そびえたつ高い石垣、深い堀があると、城に突撃する前に、その難関を突破しないといけないですよね。

深く長い堀を抜けたら、高い石垣を登っていかなくてはならないのです。

 

ですが、一度は原型をとどめることなく破壊されたのです。

 

1620~29年  徳川幕府による再築開始~完成

一度はめった打ちにされ廃墟と化していた大阪城は江戸時代に入り再築が始まります。

 

2代将軍徳川秀忠の時に再築が開始され、3代将軍秀光の時に完成しました。

 

しかし、豊臣秀吉が作った大阪城をそのまま再築したわけではありません。

大阪城は秀吉が築いた当時の物とは全く違うもので出来ているのです。

 

「我ら徳川!」と徳川の威厳を示すために、

秀吉が作った大阪城よりも豪勢なお城を建築しました。

 

これは徳川家が西日本の支配を確固たるものにするために行われたのだと考えられます。

 

秀吉の時よりも豪華なお城を築くことで秀吉の影響力を排除しようとしたのでしょう。

 

こうしてやっと現在の形の大阪城が姿を成すわけです。

 

しかし、大阪城の運命はまたここからも試練が待ち受けています。

 

1665年 落雷により天守閣焼失

せっかく蘇った大阪城。

でしたが、なんと落雷によって立派な天守閣が再び失われてしまいます。

 

天守閣を失ったままの大阪城はその後、266年間天守閣がない状態でした。

 

1930年  天守閣復興工事開始

昭和に入り当時の大阪市長が大阪城の天守閣の復興を提案。

 

大阪市民から予想以上に早く募金が集まりました。

 

当時の金額で750億円もの金額が集まったそうです。

 

こういう流れを経てようやくすべて揃った大阪城が、

今私たちが見る大阪城の姿になります。

 

430年前、天下統一を果たした秀吉はどんな気持ちで天守閣から世を見ていたのでしょう。

 

また、徳川に天下が移った後、これでもか!と、

大坂冬の陣・大坂夏の陣と攻められ崩れゆく我が城を、

息子であった豊臣秀頼はどんな気持ちで眺めていたのでしょう。

 

大阪城は単なるお城ではありません。

 

430年の時を経て脈々と受け継がれている。

この世の隆盛を感じることが出来る。日本の誇るべき宝ではないでしょうか。

 

大阪城の見どころ

次に大阪城の見どころを紹介します。

 

見どころ① 石垣と堀

歴史の部分でも触れましたが、石垣と堀は観光の見どころになっています。

 

現在の石垣と堀も城同様に徳川幕府が再築したものです。

 

秀吉の時代から城を守ってきた石垣と堀ですが、

再築では徳川幕府の権力の証を世に知らしめるために石垣の高さも堀の深さも秀吉当時の2倍にしたといわれています。

 

そしてその石垣は日本一の高さがあります。

 

その高さは高いところで30メートル!

マンションでいうと10階建てです。

 

堀の幅も深く、戦になればまず間違いなく勢いを持った敵兵士たちの出鼻をくじくこと間違いなしでしょう。

 

見どころ② 巨石

石垣と堀も素晴らしいのですが、さらに大阪城の素晴らしいのは、大阪という、瀬戸内地方の近くに位置する立地条件も相まって、城内には目を見張るほどの大きな石、巨石がゴロゴロあります。

 

畳30枚分クラスの巨石が当時の職人によって壁や門にはめ込まれています。

 

実際に見るとほんとにどうやって運んだのか不思議なくらい、巨石が壁や門を形づくっています。

 

その巨石コレクションが見受けられる場所に「大手門枡形」「京橋口枡形」「桜門枡形」などがあります。

 

人生で初めて見るような巨石が集中して見受けられますので、ここでは必ずカメラに収めておきたいですね。

 

今のような電車やトラックも無い時代に、人の力と知恵によって持ち運ばれたのです。

 

見どころ③ 豊国神社

大阪城の生みの親である豊臣秀吉のパワーをあやかりたいなら、ぜひ、豊国神社を訪れてください。

 

城内桜門の正面に鎮座する神社で「豊臣秀吉」「豊臣秀頼」「豊臣秀長」が奉祀されています。

 

大鳥居前にある秀吉像がオーラを放っています。

 

秀吉は農民から天下を取った人物、

そのため、出世・勝運の神様とも言われています。

 

合格祈願や就職祈願、出世したい人は参拝してみると良いですね。

■豊国神社
住所:京都府京都市東山区茶屋町530
アクセス:京阪七条駅下車 徒歩約10分
拝観時間:9:00~16:30

 

まとめ

今回は大阪城の歴史と豆知識について紹介しました。

 

莫大な費用をもって築城された大阪城。

屋根には金箔瓦が使われていたそうです。

 

桁外れの財力を持っていたとされる秀吉が贅沢を尽くした、絢爛豪華な大阪城は大坂の陣によってあっけなく落城しました。

 

さらには度重なる焼失によって廃墟同然となったこともあるこの大阪城の生き様は、栄華と衰退。

そして復興を経て、まるで、私たち人間の歴史そのものを物語っているようです。

 

今回の記事が大阪城観光をより楽しむための知識としてお役に立てれば幸いです。

 

金閣寺の歴史や豆知識についてはこちらにまとめています。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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